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2015/04/01

2015.04 姉さん六角 京の道…メインストリート烏丸(カラスマ)通

烏丸通 如何にも車優先の○号線とか、商売優先の臭いがする○○筋とかと道路を呼ぶ都市もあるが、京都では大きな道路は南北・東西ともに『通(とおり)』と呼ばれ、その間の比較的細い道路は『小路(こおじ)』、殆ど私道のさらに狭い道は『路地(ろおじ)』と呼ばれている。
 同じ関西でも、格別な中心がなく自然環境に合わせて発展してきた大阪や神戸とは異なり、京都の街は大内裏―御所を中心とした100%人工的に造られた街である。平城京と同じく長安を模して条坊制の都市として造営された。

 南北に走る9本の坊と東西に走る11本の条と呼ばれた大路、夫々22本と26本の小路があった1200年前の平安京は、朱雀大路が千本通に変わり、烏丸小路が烏丸通に変わったりしたが、今も枠組みとして、大きな通りと無数の小路が碁盤の目のように街を形づくっている。その一コマをさらに細分化すると、道路に面した狭い間口から奥へと延びるウナギの寝床になり、さらに奥の家屋が別世帯になるとそこへの通路として路地が出来た。三本の寝床の真ん中の家屋がなくなって路地となったのである。こうして、平安京の条坊制の都市計画が細分化された結果として、現在の京都がある。

 建都以来小路だった『烏丸小路』は1877年旧国鉄の京都駅舎の建築と同じ時期に拡幅されて、『烏丸通』となった。何故『カラスマドオリ』と「ル」を発音しないのか?大した意味はない。『撥音便化』、要するに面倒だから省略されただけのことである。
 地下鉄烏丸線が開通したのは拡幅工事の約100年後の1981年、これを機にさらに烏丸通は賑わうようになった。ホテルやデパート・大型専門店が集中する京都駅周辺、東本願寺を経て四条烏丸周辺ではビジネスとファッション、三条~御池周辺の文化・情報・芸術、さらに北上すれば京都御苑から平安女子・同志社・大谷大学と、約7kmの間にいくつもの顔を見せる京(=今日)のメインストリートである。(M)

(写真は本社ビルより京都駅方面へ烏丸通を望む)

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