コラムCOLUMN

2013/06/01

2013年6月 京のゲート-文明開化への『蛤御門』

 江戸時代中期の天明の大火によって、それまでは固く閉ざされていた新在家御門が開けられた…火に炙られて開いた。
 以来、京都人はシャレで『蛤』御門と呼んでいる。

 幕末、禁門の変というよりは蛤御門の変として知られる長州藩と会津・桑名・一橋の朝廷をめぐる戦いは長州の完敗に終わった。
 この戦いで長州藩が敗北したことによって、軍備近代化から西欧文化への眼が開かれるきっかけとなり、攘夷から真逆の開国へ大きく転回して文明開化の明治維新へと進んだ。蛤御門は鎖国日本が世界に眼を開いた開国の門とも言えようか。

 京都御苑は梅雨時も素晴らしい。蛤御門から紫宸殿の南壁に沿ってストレートに伸びる道。青葉の彼方には雨に煙る東山。今はもう門柱の弾痕にしか激戦の跡はない。

 国家間競争が激化しそうな今、グローバルな視点で日々の諸相を見て行きたい。(M)

(蛤御門は、本社より北へ徒歩15分の烏丸通り下長者町上るに位置します)

一覧へ戻る