コラムCOLUMN

2019/12/02

2019.12 レトロ京都…おばちゃん達のアメ横、下町感覚あふれる伏見桃山『大手筋商店街』

大手筋商店街 京都市南部の伏見は、山崎の合戦で明智光秀を破った秀吉が、鴨川堤沿いから京に凱旋した道筋だったかも知れない。明の使者と謁見するために築城したとも伝えられる伏見城、隆盛だが陰りも見え出した秀吉に、青雲の志を持っていた頃の想いが甦っただろうか?
 当初は隠居屋敷として計画されたようだが、京都・大阪、そして関東への支配網の要の城として、また朝鮮、中国への力の象徴として伏見城は築城された。宇治川から水路を引いて外堀にし、伏見港を開いて流通網を整備し、配下の大名や武将を城下に配し、京都の聚楽第周辺から商人たちを呼び寄せて、伏見の町づくりに力を注いだ。その所以か、今も伏見の人達は太閤びいきが多いと言われる。

 今は明治天皇陵となっているが、その伏見城大手門 (正門)への大通りが大手筋商店街である。京阪伏見桃山駅から西へ約400m、竹田街道の手前まで100店舗余りがつらなり、シャッターを閉ざしているお店は一軒もない。市中心部の商店街は、年々居住人口の減少によって寂しくなっているが、この地ではビジネス街、工場街と住宅地が程よく入り混じり、客足は途絶えることがない。どのお店も、価格も含めてお客のニーズに応えていて、その生活感あふれる下町感覚がうれしい。ここは、京都市南部の大繁華街―おばちゃん達のアメ横である。季節に応じて太閤バルや夜市などの催しがあり、地元の酒造メーカーとタイアップした伏見清酒祭りもお店とお客の楽しいイベントだ。
大手筋商店街 ソーラーアーケードを通した冬の陽光が商店街を柔らかくつつみ、XmasソングのBGMが年の瀬気分をかきたてる。賑やかな呼びかけが昭和の下町を思い起こさせる。

 全国各地に小京都があるように、○○銀座もまた多い。
 実はこの地はその『銀座』発祥の地で銀座町の地名に残るが、今はひっそりと記念碑があるだけ。それを売り物にしていないところが、下町っぽくていい。銀座を開設した家康よりも、最初に街づくりをした秀吉を今も慕っているのだろう、人情もレトロな商店街なのである。(M)

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