コラムCOLUMN

2016/03/01

2016.03 姉さん六角 京の道…ダイバーシティな日本一の生活通り『三条通』

三条通 旧東海道の上りは、鴨川にかかる三条大橋の東詰めである。山科で旧東海道(→旧三条通)から分岐した三条通は、東山の手前で合流して三条大橋を渡って京都の中心部に入り、嵐山まで続く。京都市内で一番長い東西の通りである。
 三条大橋から新京極の名店街まではいつの時代もにぎやかだったが、寺町から堀川間は京都市のほぼ中央に有りながら、職住混在のどこにでもある並の通りだった。京都では極めて珍しいが神社仏閣は一つもない。しかし、江戸・明治・大正期からの歴史的な建物が13棟も点在し、様々な形で今も活用されていて、通りのアクセントとなっている。そのシンボルが旧日本銀行京都支店ビルで、1988年に建都1200年を記念して改装されて京都文化博物館となった。

 その10年後に地下鉄東西線が開通したことや、従来盛んだった和装産業に加えてIT・ソフト開発系企業等が進出したこともあって年々若い人たちも増えた。大正モダンの建物にWeb制作会社が看板を出し、レトロな珈琲店や割烹料理屋と軒を並べて今風カフェやブランドショップが、オリジナルな商品やサービスを提供している。さらに烏丸通を横切って西へ進めば、シックな専門レストランが、昔ながらの京町家の和装小物店やお寿司屋さんと並ぶ。
 盛り場の猥雑さも繁華街の喧騒もなく洗練された街並みと物腰、品の悪さを嫌った町衆の生活文化が今も生きているのだろう。ここでは、良貨が悪貨を駆逐している。

 河原町通りから堀川までの区間は、烏丸交差点以外は信号さえもない。人も車も品良く共存している。和・洋・亜が交じりあいソフィスティケートされた三条通りは、老いも若きも、女子も男子も、先端デザインも伝統工芸も楽しめるダイバーシティな日本一の生活通りとなった。

 地域創生が提唱され新規事業による町おこしと称して、一面的な街壊し更地化プロジェクトが横行しているが、時間をかけてでも多様な地域文化を根付かせるものでありたい。(M)

一覧へ戻る